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not identity, identify, About the judgment material which discriminates others. Part 1. [meditation]

ふとした瞑想です。でも長文になりそうですのでお付き合い頂かなくても結構デスヨ。

発端記事:

Nightwish, Dark Passion Play, Amaranth, The Band from Suomi, Finland, and Bran New Singer "Anette Olzon" join from Sverige, Sweden.
http://blog.so-net.ne.jp/kudo_detective_office/2007-09-30

該当記事掲載後、「ハードロック芸人」サンからの暖かいツッコミ・コメントに触発されて、色々脳内散策をしてしまいました。アイデンティティ "identity" というか他者による認識(ちょっと大袈裟ですけど)について瞑想の散策してみましたので、書き記しておこうと想いました。但し、あくまで自身にて瞑想した結果を書き記すものであり、別段これについて広く意見求めたりしている訳ではないので、その点ご了承下さいまし。

0. アイデンティファイとは

アイデンティティ [identity] :人格における存在証明または同一性。ある人の一貫性が時間的・空間的に成り立ち、それが他者や共同体からも認められていること。自己の存在証明。自己同一性。同一性。

アイデンティファイ [identify] :同一であると確認すること。同定すること。

以上、広辞苑より。

今回、散策したいのはアイデンティティというよりは、アイデンティファイについてです(アイデンティティを考えはじめると深みに入りますし。。。ですから、自分とは何か?とか、自分がどう変わるか?とかそういう話ではありません。)。

どのように人は「ソレ」を識別するのか?という事について散策したいのです。

1. 他人を識別する判断材料について:

安部 公房の著作に「他人の顔」という小説があります。

大分昔に読んだ本なので詳細は失念しましたが、こんなお話でした。主人公が不慮の事故により「顔」を失ってしまうことを発端に、単なる外部からの認識だと考えていた「顔」が自分自身の心持ちにも深く影響を与えていく様を描いた、そんなお話だった筈です。

他人の顔

他人の顔

  • 作者: 安部 公房
  • 出版社/メーカー: チャールズ・イ・タトル出版
  • 発売日: 1967/01
  • メディア: 単行本

他人の顔 (新潮文庫)

他人の顔 (新潮文庫)

  • 作者: 安部 公房
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1968/12
  • メディア: 文庫


同様に安部 公房著作の「箱男」もそういった他者と自分の認識による自我と外界との関係について書かれたものでした。

箱男

箱男

  • 作者: 安部 公房
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1982/10
  • メディア: 文庫

安部 公房の代表作である「砂の女」を筆頭に彼の著作全般にそういった自分とは何者か?というアイデンティティを模索する中で自分と他者との関わりについて見つめていくと言った様なお話が多いように想います。

砂の女

砂の女

  • 作者: 安部 公房
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1981/02
  • メディア: 文庫

ここで考えさせられるのが二点あります。

一つは自分と他者との視点の相違です。

自分が思っているように他人が見ている訳じゃない。

自分が考えているようには、他人には見られていないことが往々にしてある。というよりも自分ではない他者がどう見るかは、違って当然なのでしょう。これは見方というか見られ方というか、視点が全く違うんですから至極当たり前の事なんでしょうけど、勘違いしがちな箇所でもあるのでしょう。

当人が何かに想い入れ込んで他人からはこう観られたいなどと想い何某かの格好をしたとしても、他者がその意図通りに見てくれるか否かは、その出来次第でしょうし。逆に当人が熱心に真面目に模倣した方が、面白おかしく見えることも多々あることでしょう。

音楽やアイドルに夢中になって、好きなアーティストを自分の脳内でイメージしそれを真似をした格好やヘアスタイルをするのも良くあることでしょう。特に世間で一躍注目されるアイドル的存在がメディアで露出しているヘアスタイルや服装をいくら模倣したとしても、例えば松田聖子の聖子ちゃんカットをしたり、エビちゃん(蛯原友里)に成りたいと切望したとしても彼女になれるはずもなく、演者によってはその差異もあることながら、多く方々がただの模倣の残骸と化してしまうことでしょう。エビちゃんではなくて、カニちゃんとかロブスターちゃんって人もいますしね、、、誰?って感じです(笑)。

加えて、他者にどう見られるか?によって、その視線の先にある当人が変容していくのも相乗効果としてあるのでしょうが、しかしながら此処では、自分のアイデンティティとはいったい何か?などといった部分は深くは立ち入りませんので悪しからず。

結果、自分が考える自分としての「認識」と他者が各々の人間を判別するための「識別」。これには大きな隔たりがあることでしょう。

但し、他者と自分との関係によっては多数の補足情報によって、その識別もかなりの部分で補正されることかと想います。

一人称、二人称、三人称、という大枠な視点だけではなくて、例えば三人称という視点だったとしても、全くの赤の他人と面識がある人ではその補足情報による識別に与える影響度合いは少なからず異なってくるのでしょう。また識別対象となっている人とある程度面識があり、また対象者と如何に係わっているか?という部分が判断する側には当然大きく関与する筈です。特に利害関係や恋愛感情など特殊な要因があれば尚更の事でしょう。

附帯する事象は色々散在し関与しますが、自分が観られる視点は「内側からではなくて外側にある」という事を確認しました。

もう一つは情報源としての五感です。

他者が自分を観て識別をしようとしている場合、自分が被観測者であり、他者が観測者となります。

観測者がその対象を識別するための情報は、観測者が入力可能な情報に限られます。
人間ですから備えているセンサーは、目と耳、鼻や口、皮膚や指、手などであって、その情報は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感に限定されます。またこれ以外にも第六感などと呼称される特殊能力を否定するものではありません。未だ解明されていない原始の時代から組み込まれたセンサーがあるのかもしれません。但し、自覚している範囲で初動時に他人を識別する場合に於いては、その中でも情報の大半を占めているのは、視覚でありそれを補足するのが聴覚でしょう。

つまり、観測者が対象となる人を識別する場合には、まず視覚であり、そのコア情報として対象者の顔貌を可視光線としての波長の範囲での視覚情報によって入手し判別を行っています。顔などの主要な写像と供に副次的な視覚情報として、体型や服装なども取り込まれる事でしょう。

そして対象に接近することにより、聴覚による情報入手が可能となり、対象者が話す声による判別が可能となります。

そして更なる接触を持つことによって、嗅覚や触覚での情報も入手可能かもしれませんが、ほとんどの場合は対象者を識別後に入力される情報でしょう。

当たり前のことですよね。

何を言いたいのかというと、ほとんどの場合、視覚による情報が識別の大勢を占めているということです。つまり顔貌なのです。しかも可視光線という限定された波長による入力だけであり、それを脳内で解析した写像が当人か否かを判別するのに該当する処理なのでしょう(詳しいことはしりませんが)。

可視光線以外の波長の受信が可能で、例えば昆虫の様に紫外線で観たとしたら、俺が『草刈正雄よりもハンサムだ!』と言えるかもしれませんが、それは人間には無理なことです(美形とは何か?誰がハンサムか?というのは価値観によって違いますけどね)。

また視覚の補足情報として、音声があるでしょう。どの程度の部分を声という「音」としての聴覚情報が判別として用いるのかは人によって差異があることでしょうが、かなりの部分を補足されていると考えます(最近、探偵は声は結構重要な割合を占めているようだと考えるようになりました。可愛い娘はやっぱり声が良くないとね。)

初期の識別は、この「顔」と「音声」の部分でほとんどの判断が行われていると考えます。その後、話している内容や服装のセンスなど多岐に亘って視覚、聴覚を用いた情報入手が粛々と行われるのでしょうが、ごく初期の判別では上記で終了でしょう。

道端で「ひさしぶり!」と急に声を掛けられた時に振り向いた相手を識別するには、声と顔だけですよね。あまり久しぶりだと顔が判らなくて困ってしまうのは、識別できないからに他ありませんしね。

これも前述通り、その観測者と被観測者の関係によって変化します。また補足される情報によって変容します。観測者が対象となる人の顔を観たとしても、その人に附帯する情報として、氏素性や職業、肩書きなどが加われば、その人を識別する情報は必然的に修正が行われることは間違いないことでしょう。

入力される情報周辺付近でも附帯する事象は色々散在し関与しますが、第一次接近遭遇では「顔」と「声(音)」という事を確認しました。

上記に挙げた二点に着目すれば、「外観と音声」が人を識別する方法として主体として用いられてると考えられます。

当たり前のこと書き綴っただけで、なんだか瞑想自体が一気に矮小化してしまったような気もしますけどね。まぁ気にせずもうちょっと続けます。



2. アニメにおけるキャラクターの識別について:

比較もしくは比喩として用いられた「アニメーション・キャラクターの識別」についても考察してみます。

アニメは対象がテレビを通しての二次元(もしくは3D的なものも有)の映像であり、実写と比較して大多数の部分が記号化され省略された画と音です。

代表的なアニメの例として、「ルパン三世」を挙げるとすれば、聴視者として登場人物である主人公のルパン三世という人物を識別するのには、テレビ画面に映し出される画とアテレコされたその声で識別するのです。これは前述の様に実在する人間を識別するのと何ら変わりありません。しかもアニメとはいえ登場するキャラクターを人物として捕らえているのであるのですから、当然です。しかもその情報量としては多様な状況化に現実世界に存在する人間を識別するのと比較して、ブラウン管から出てくる情報量は制限されており極端に少ないと考えます。ですから得られた情報のその濃度というか度合いは否応無く高くなるでしょう。

しかも帯で毎週放送されるテレビシリーズの場合、その放送回毎におけるアニメーターの技量の違いによっておこる画の質の不均等さも、キャラクターを損なうことも多々あります。

しかしながら、テレビ・シリーズも三度に亘って続投され、しかも幾度も映画化された「ルパン三世」は、主人公ルパン三世の顔がクリエイターによって全く違う画として描かれています。そうなのです、ルパン三世を識別するための記号としての画だったものが、その記号の違いすらキャラクターとして取り込んでいます。ですから画の記号として意味合いは極端に減少しています。服装としてルパン三世は必ずジャケットの色は、褪せた青か赤とお決まりなのですけどね。そこだけです。

では、何を持ってこの画が「ルパン三世」だといえるのか?といえば、山田康雄の声に他ならない、山田康雄が喋っている(アテレコしている)からこそ、ルパン三世なのである。と間違いなく断言できます。逆に音声がそれほど識別としての決定的情報だったからこそ、後続を勤めることが出来るのが必然的に栗田貫一なったのでしょう。

アニメに於いて、単なる画に命を吹き込んでいるのが声優なのだとも言えます。

「ルパン三世」は極端な例かもしれませんが、他の人気アニメも同様にそのキャラクターの識別情報としての音声が摺り込まれてしまった場合、それを剥がすことは至難の業であるといえましょう。声優の交代による違和感は、ドラえもんの大山のぶ代、然り、ちびまる子ちゃんの友蔵じいさんの富山 敬、然りでありましょう。

ドラえもんの大山のぶ代等の例は其々が筆者に摺り込まれているからであり、勿論、それ以前に情報を入手していなければ判断材料とはなりません。事実、初代ドラえもんは大山のぶ代ではなく、富田耕生との事だそうですが探偵はそれを知りません。つまり以前から続いていたにも関わらず観てない、つまり新しくなってからの視聴者であれば、それをすんなりと受け入れることは自然でありましょう。

逆に毎回視聴して既に浸透された情報であり、識別する情報として摺り込まれて居れば、声が変われば必然的に違和感を覚えるのは当然でしょう。或いは新しくなったそれを以前のキャラクターと同等として認められないこともしばしば起こりうるものと考えます。摺り込み、それは「パブロフの犬」状態な訳です。そう云えば "Pavlov's Dog" ってバンドも居ましたね。

Pampered Menial

Pampered Menial

  • アーティスト: Pavlov's Dog
  • 出版社/メーカー: ABC
  • メディア: CD

但し、すべてのアニメ・キャラクターの識別が画よりも声によって左右されるというつもりではなく、例えばアニメのジャンル(ギャグ・コメディ、ホームドラマ、S.F.、巨大ロボット、などなど)やその描写により、キャラクターの記号化の度合いも違うので、同時に該当キャラクターの識別についても一概には云えないのが本当の所でしょう。

しかしながら、アニメに於いてはその音声は前述の現実世界に於ける人間の識別のソレよりも、可也の割合において音声が占めているのは歴然としています。

逆にアニメではなく漫画としてのキャラクターの識別には、音声は含まれて居ませんので紙に書かれた画のみの記号情報が識別の拠り所になるのは当然です。更に小説の場合を考えると、音声だけではなく、挿絵はあるかもしれませんが、登場人物の画すらも提供されていないでしょう。小説の場合は外部から識別の必要がなく、全て読者の脳内に於いて、読者各々が蓄積された情報を元に各個のキャラクターを脳内に想像しているからです。当然、自分の好きなキャラクターには好きなイメージが脳内スクリーンに写像として投影されている事でしょう。それは、その人だけのキャラクターです。今度は小説から漫画に話を戻すと、漫画には画はありますが音声はありません。漫画に台詞や背景として描かれている画から想像される声やBGMを、脳内スピーカーで鳴らしていることでしょう。

これからも容易に想像出来ることは、小説や漫画を原作とした実写映画化があまり上手く行かない理由も当然でしょう。読者それぞれが脳内で展開しているキャラクターと演じている俳優が似ても似つかない場合、それを拒否することでしょうし。さらに漫画の場合は、記号としての画が情報として提供されているので、それを実写版で演じる俳優さんとはなるべく似た人をキャスティングを試みるのでしょうが、実在の人間を記号である画に合わせるのは到底無理なことでしょう。それで似てる似てないで評価下されるのは俳優さんの本意ではないでしょうし、何より可哀相です。近年、漫画原作で実写映画化されたものですと、デス・ノート "DEATH NOTE" やナナ "NANA" などが挙げられるでしょうが、その後アニメ化されている理由は、それで満足行かない原作ファンがいるからでしょう。そこまで波及するのには、原作である漫画自体に人気があるのは勿論必須条件ではあります。

DEATH NOTE デスノート

DEATH NOTE デスノート

  • 出版社/メーカー: バップ
  • 発売日: 2007/03/14
  • メディア: DVD

DEATH NOTE Vol.7

DEATH NOTE Vol.7

  • 出版社/メーカー: バップ
  • 発売日: 2007/06/27
  • メディア: DVD

NANA -ナナ- スペシャル・エディション

NANA -ナナ- スペシャル・エディション

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2006/03/03
  • メディア: DVD

NANA 2 Special Edition

NANA 2 Special Edition

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2007/06/22
  • メディア: DVD

NANA-ナナ- 16

NANA-ナナ- 16

  • 出版社/メーカー: バップ
  • 発売日: 2007/10/24
  • メディア: DVD

漫画原作の実写映画化ではスーパーマン "Superman" のクリストファー・リーブ "Christopher Reeve" の様に、容姿がまさにスーパーマンであり、その彼自身の強い心がまさにスーパーマンであった稀有な俳優さんもいますけどね。それは別格でしょう。

話をアニメのキャラクター識別に戻すと、もしテレビアニメでドラゴンボールの孫悟空が野沢雅子以外の声だったら、偽者の悟空だと皆思うことでしょう。そしてギニュー特戦隊にボディーを乗っ取られたか、誰かの変身偽装かとも勘繰るかもしれません。繰り返しになりますが、アニメでは音声が主要な識別情報であることは間違いありません。

DRAGON BALL #1

DRAGON BALL #1

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2007/04/04
  • メディア: DVD

最後アニメではないのですが、クリント・イーストウッド "Clint Eastwood" の吹き替えは探偵の脳内では山田康雄さんの声が定着してしまっています。というよりもクリント・イーストウッドの声は山田康雄さんなのです、矛盾しますけど。ダーティ・ハリー ""Dirty Harry" ことハリー・キャラハン刑事が流暢に日本語を話す(勿論山田康雄さんの吹き替えですよ)のが当たり前であり、クリント・イーストウッドの映画を吹き替えなしで観る方が違和感がある程です。

3. ロックバンドにおける識別について:

やっと本題ですが、ロック・バンドのそれについてです。

が、ここで力尽きましたので本日はこれまで。明日以降に続く。。。かもしれない。


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